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先日の日記のげんしけんの感想でちょっと書いたコメントが、意外に気になる人がいるみたいなのでもうちょい掘り下げます。
話してて、前回で書いてる事について誤解があるみたいなので、一応書いておくと、別に「追求する姿勢がないといけない」とか「原点をあたれ」と言ってるつもりはまったく無くて、「ああ、世代が違うのね」っていう確認だけなのですよ。
昔のヲタってのは、ネットもなければ、今ほど雑誌が充実してるわけじゃなかったので情報を集めるのに苦労してたわけです。で、知りたい情報を掘り下げていくという行為をやる事は、労力もお金もかかってた。雑誌、関連書籍を買いあさり、なにかちょっとでも自分の好きなものに触れる所があれば、集める。近くの本屋に置いてない本は自転車で隣町の本屋に行って買う。(神島はガンプラ買う為に二つ隣のプラモ屋とか自転車で普通に買いに行ってた(笑))そういうのを続けていくうちに、そういうのが平気になったのが旧世代のヲタの姿だったんじゃないのかなと。まあでもそれには弊害があって、それぐらいの熱意を注ぐ代わりに他のものがおろそかになるとか。それが恋愛であったり、社会性であったりとか。そういう状況に置かれてもなお、肩肘を張って、ヲタを続けてたのが旧世代のヲタの姿じゃなかっただろうか?
現在の環境と言えば、ネットが普及し、ヲタ文化もある程度一般層に認知されている。ホビーショップの数も10年前とは比較にならないし、店が無くてもインターネット通販がある。肩肘を張らずにヲタをやれる時代が来ているんだろうなあ。
昔の時代における情報を集める為の労力を10とするならば、現在はそれこそ1ぐらいになってるんじゃなかろうか?たとえば、人間の行動力を10として、過去の環境を知っている旧世代ヲタは10を使って過去の10倍の情報を収集し、現在のヲタは1を使って1の情報を収集して残りの9を他の事に使っている。そういう感じなのかな?それを見て旧世代ヲタは、「もっと集められるよね?追求できるよね?」という思いと「普通の生活送れてるんだ」っていう羨ましさを感じているのかもしれないなあと思ってみた。
まあもちろん人によるのはもちろん、若いヲタの人でも、行動力10使って、1を10個あつめてる(今は本当ジャンル多すぎるからね)人とかもいるわけで、単純な類型化ができるわけでは無い事は確かですよね。まあ雑感というか思考の垂れ流しですが。
<参考>
個人的なイメージとしてゲームの世界でも同じことが言えますね
昔のRPGは
・まず自分でプレイする。
・プレイして得た情報を仲間と教えあうことにより知らなかった部分が見つかる
・時間をかけてクリアして半月〜1ヶ月経った頃に攻略本が出る
・それを読むことで今まで遊んでない部分を知り2週目を遊ぶ
このくらいの工程は踏んでいたかと思う
でも今は発売日から数日後にはラストまでの攻略がネット上に存在してしまう
結果として1回のプレイでパーフェクトに遊ぶ人が多い気がする
PS2発売頃から思い入れの強いゲームの数が圧倒的に少ない事に気づく
最近のゲームの寿命が短く感じるのも情報過多の現在のせいなのかなと思う今日この頃
久々に書き込み〜
何があったか知らないが、同世代だけに君の言いたいことはわかりすぎるような気がするなw
ニフティあたりまでは何を調べるのにも、ひどく金と時間がかかった時代だったよねぇ
寝る間も惜しんでオタしていたせいで、いまだに睡眠時間6時間きってるな…
当時オタクは市民権なんて全然なかったし、目的のものを得るために、隣の市、隣の県まで買い求めに行ったり、やっと着いた店が明け方の火事で燃え落ちてたりw
そんな寒い時代を耐え抜き市民権を得た今、確かに今のオタクは違うということを感じる
これがオールドタイプということか!